恋愛心理学より、「恋愛感情の定義」

恋愛心理学に関する本を何冊か読んでいると

恋愛感情に含まれる感情には、何があるかの傾向が見えてきました!

 

 

①相手を助けたい・援助したいと思う気持ち

例え、自分のコストを投資してでも、相手のために何かをしたいと思うこと。

 

②相手とつながりたい・一緒にいたいと思う感情

相手を愛し続けなくてはならない、相手と一緒にいなくてはならないと思う責任感。独占欲。社会的責任を含む気持ち。友だちとは違うドキドキした気持ち。

 

③性的欲求

相手に性的関心をもつ。相手に性的な魅力を感じる。

相手と性的な行為をしたいと思う気持ち。

 

 

恋愛感情には、性的欲求以外にも、様々な感情が含まれているようです。

 

(参考:

齊藤勇(2005)「恋愛心理学 (図解雑学シリーズ)」ナツメ社

渋谷 昌三(2012)「面白いほどよくわかる!恋愛の心理学」西東社

松井 豊(1993)「恋ごころの科学 (セレクション社会心理学 (12))」サイエンス社)

 

 

 

<恋愛の起源>

親と子どもの愛、生理的早産

人間の愛情の最初の姿は「親と子どもの愛」だったという説があります。

 

親子の情緒的な繋がりのことを愛着と呼びます。

生理的早産と呼ぶが、人間は他の哺乳類を比べて未熟な状態で生まれます。

遺伝的に子どもは親の注意を得る仕組みを身に着けており、逆に親は子どもに惹かれやすい仕組みを持っている。この親と子どもの愛が、仲間同士の愛(友愛など)や、恋愛の姿に変化していったらしいです。

 

(参考:

大坊 郁夫、奥田 秀宇(1996)「親密な対人関係の科学 (対人行動学研究シリーズ)」誠信書房

高橋 惠子(2010)「人間関係の心理学―愛情のネットワークの生涯発達」東京大学出版会

斉藤 勇(1986)「感情と人間関係の心理―その25のアプローチ」川島書店)

 

 

<翻訳語として広まった恋愛>

恋愛に近い意味の言葉として、「いろ」や「こひ」という言葉が明治時代以前でも使われていました。

しかし、昔使われていた言葉は、肉体的関係・性的欲求を重視した意味が中心でした。

恋愛という言葉が最初に日本で取り上げられたのは、明治時代であり、精神的な意味が恋愛に含まれるようになりました。

(※柳父章の「翻訳語成立事情」に恋愛について書かれている。柳父章は明治時代の翻訳語の研究者。)

 

恋愛という言葉が一般の人に広まったのは戦後でした。

戦後の高度経済成長期にメディアで「デートはこのお店」など、マニュアル化された恋愛が広まった。消費と恋愛をつなげたいという意図から、恋愛という言葉が一般の人にも広まりました。

 

(参考:

山根宏(2007)「「恋愛」をめぐって-明治20年代のセクシュアリティ-(立命館言語文化研究 第19巻4号)」立命館言語文化研究)

 

 

 

<恋愛が受ける社会的影響>

恋愛の考え方が広まることで、正しい恋愛と正しくない恋愛があると思われるようになりました。

正しい恋愛とは、「1人の相手に恋愛感情を構成する様々な異なる感情が集中すること」、「自分と相手が欲求に応じ合うことで、お互いの欲求が満たされていること」と考えられるようになりました。

正しくない恋愛とは、「様々な異なる感情が1人の相手に集中しないこと」と考えられるようになりました。

 

(参考:

服藤 早苗、吉野 晃、山田 昌弘(2002)「恋愛と性愛 (シリーズ比較家族第2期)」早稲田大学出版部)

 

 

 

<恋愛感情は複数感情の統合体>

 

恋愛感情に含まれていると考えられる要素には、このようなものがあります。

・特定の相手とコミュニケーションをとりたいと思う気持ち

・特定の相手と関わりたいと思う気持ち

・相手と一緒にいたいと思う気持ち

・独占欲

・相手を助けたい・援助したいと思う気持ち

・性的欲求

・体に触れたい気持ち

・手をつなぎたい気持ち

・ハグしたい気持ち

・デートしたい気持ち

・キスしたい気持ち

・家族になりたいと思う気持ち

・結婚したいと思う気持ち

・子どもをうみたいと思う気持ち

・子育てをしたいと思う気持ち  など

 

元々、特定の相手とコミュニケーションを取りたい欲求が恋愛感情のように捉えられていたが、社会的な影響を受けた結果、本来別々の感情だった感情が統合されて、恋愛感情と呼ばれるようになりました。

結婚は法的に相手を独占することを認めるという捉え方ができるので、様々な異なる感情が特定の1人に向くことを正しい恋愛とする社会の考え方と相性が良かったためと思います。

恋愛感情は様々な感情の統合体であり、感情であるのは感じ方は人それぞれ。

このため、恋愛感情を感じない人、わずかに感じる人、流動的な人、感じるのか迷う人など、様々な人がいてもよいはずです。

 

 

月島ゆな