悪魔の証明
アセクシャルには、自認の難しさがあるという意見があります。
自分が本当にアセクシャルであるかは、死ぬまで分からないとも言われています。
<アセクシャルの自認について、よくある声>
・アセクシャルなのか、まだ、自分にあう人に出会えていないだけなのか分からない。
・他の人にひかれた経験はあっても、それは今思うと、憧れの気持ちからで、恋愛感情の意味ではないのではないか。
・好きなアイドルなどに対する「推し」という気持ちはあるけれど、それは生きていてくれてありがとうとか、尊いという気持ち。
・パンセクシャルか、アセクシャルか分からない。常に人に対して感じている気持ちが性的欲求や恋愛感情ではないと、証明することはできない。
人を好きになる、人にひかれるというのも、様々な形があります。
アセクシャルを自認するのは、性的欲求がないという「ないものを証明」する難しさがあり、「悪魔の証明」のようです。
性行為をしたから、性欲があるわけではなく
食欲のようなものと比喩で表現されることがあります。
食欲がなくても、どうぞと食事を差し出されたら一切れくらい食べることは出来ます。食事は出来るが、別に食べたいと思ったわけではありません。
逆に食欲はあるが、(ダイエット、健康診断などの理由で)食べない人もいます。
行為と欲は同じではありません。
恋愛と性的な欲求、性行為、結婚すること、家族を持つこと、子育てすること、これらは全て別で、恋愛のゴールが結婚ではないし、結婚のゴールが子育てでもありません。
月島ゆな
コメントをお書きください